添削レベル1

広島国語屋本舗 現古館 館長の小林です。
先日、広島県最大手の塾の過去問添削を見る機会がありました。
毎週1題入試の過去問を指定され、提出した答案が添削付きで返ってくるというのです。
なんて素晴らしい!ナイスサポートだ!と喜んで見せてもらったのですが、飛び出た目玉をカラスがくわえて飛んでいきました。
漢字やことわざの語彙系の問題の採点の上に「ここはよくできている!」とコメント。
記述答案の上に「ここをもっと頑張ろう!」とコメント。
これ、添削なんですか?
空っぽ
最大手の塾ですから、少なくとも1クラスあたりの人数は数十名いるのでしょう。
一人ひとりの答案を添削する労力は推して知るべし、かなりの時間がかかるはずです。
私自身も添削をする立場ですから、その苦労はよく分かります。
しかし、具体性を一切伴わない添削ならやらない方がましなんじゃないですかね。
中身は何も入っていない、空っぽなんですから。
覚えていないから覚えましょう。
書けていないから書けるようになりましょう。
どうやって?というお話です。
結局のところ、各生徒の思考の癖や課題については見えていないのだな、と痛感しました。
九死に一■を得る
一例を挙げましょう。
「ここはよくできている!」と書いてある知識問題のなかに、以下のような誤答がありました。
「九死に一■を得る」→「九死に一”死”を得る」
有名なことわざだから覚えておこうね、というのは簡単です。
添削した先生によれば「よくできている!」ようですが。
ただ、ここから読み取れることはいくらでもありますよね。
有名なことわざを覚えていない、知らないのは語彙力不足だ!なんていうレベルの話ではありませんよ。
もちろん、「九死に一生を得る」が出てこないというのは、深刻な語彙力不足を抱えているということで間違いないでしょう。
ただ、私が気になるのはむしろ誤答の方です。
たとえことわざを知らなかったとしても、「死」がマイナスイメージの言葉であり、「得る」がプラスイメージの言葉だということさえ理解していれば、「九死に一”死”を得る」にはならないはずなんですよ。
知識不足を補う思考力、類推する力の欠如の方がよほど課題だと私は思うわけです。
たとえ問われている内容に答えるための知識がなかったとしても、手持ちの知識を運用して答えに近づくことはできます。
さらに言えば、対義語を運用する力が育っていないということは、文章の中にある対比の関係が理解できていない可能性まで考えられます。
たった一題の誤答から、考えられることはいくらでもあるわけです。
それをしないのは怠慢ですし、できないのは能力不足だとしか言いようがありません。
添削レベル1ですね。
いや、0か。