ツナ具②

広島国語屋本舗現古館 館長の小林です。

前回は「実感とつなぐ」をテーマにお話ししましたが、今回は別の角度から「つなぐ」視点についてお伝えしようと思います。

小中ギャップ

地元にスナック街がありまして、もっとも「街」と言えるほどに栄えているわけでもないのですが、よくご高齢の方と仲良く飲んでいるわけです。

私はもっぱらビール党で、しっかりとプリン体をお腹に蓄え続けているわけですが、やはり周りでは焼酎を飲む方が多いんですね。

薦められて飲んでみると…焼酎ギャップ。

はい、世迷言です。


まずは公立小→中学校の「小中ギャップ」。

なかなか大きいです。

学校のテストで100点が当たり前!というような子でも、中学校最初のテストで心を折られることがしばしば。

記述問題の文末で減点をくらいまくった、書き抜き問題を正しく書き抜けていない、時間内に解ききれなかった…。

例を挙げればきりがありませんが、どれも大した話ではないんですね。

問題を解くときの作法を身に付ければよいだけの話で、このギャップは対策さえしていればすぐに越えられます。

時間内に解ききれなかった、というのは、単に学校のテストというものの性格への無理解が原因です。

授業で何時間もかけて読んできた文章について確認するわけですから、「ゆっくり丁寧に文章を読んで解きましょう」という分量にはなからなっていません。

これも対策次第であっさり越えられることが多いです。

中高ギャップ

問題は「中高ギャップ」なんです。

中学受験を経験していれば、国語が一筋縄でいかない科目だということは既に実感されているわけです。

けれども、傍線部の近くを見てコピペするだけで良い点数をとれてしまっていた中学生は、高校のテスト、ないし模擬試験で愕然とするでしょう。

記述問題の模範解答例は細分化され、要素ごとに得点が判断されます。

注釈のおかげで「なぜか」読めてしまっていた古典は、知識のインプットを少しでも怠れば暗号化します。

自己採点力が身についていなければ、提出課題は赤字で答えを書き写すだけの写経訓練になります。

高校の平均点は中学校のころと違って40点~50点台ということも多いので、自分ができていないことに無自覚なまま、「普通くらいにはできる」という間違った自己認識だけが肥大化します。

「普通ぐらいにはできる」ではないのです。

みな等しく「できていない」のです。

そして共通テスト対策のマーク模試を受け始める高2の終わりごろになって気付くのです。

「あれ、これできてないんじゃない?」

それでも国語に時間は割きません。

なぜなら、より分かりやすく「できない」と思える科目が他にあるからです。

「国語は日本語」だからです。

日常会話で用いる日本語と、評論・小説で用いられる言葉との硬度の差異は一切考慮しません。

そして大学入試本番まで、何となくお茶を濁しながら国語をいなし続けるんですね。

学力をつなぐ

私は、「高校生の国語は難しいぞ」なんてことを言うつもりはないのです。

いや、事実難しくはありますよ。

文章に用いられる語彙のレベルは小、中、高と上がっていくわけですし、記述問題の字数も増えていきます。

問題形式のバリエーションも少しずつ増えていくでしょう。

が、その程度の話はしていません。

求められている学力の本質は、小、中、高と変わらないのだから、さっさとそこをつかんでおきましょう、というお話なのです。

「どういうこと問題」も「なぜ問題」も、解き方は変わりません。

どこまで踏み込んで書かせるか、というハードの部分が変わるだけなのです。

小中学生の記述問題だから、コピペ解答でOKなんですか?

コピペ解答自体は悪い事ではありませんよ。

解答の要素となる部分を適切に見つけられているということですから。

でも、それを問題文の求める形に合わせてリライトするという訓練はしなくてよいんでしょうか?

問われ方が複雑化したときの解答は考えなくてよいんでしょうか?

自分の記述解答と模範解答とのすり合わせはしなくてよいんでしょうか?

大学入試に耐えうる学力の基礎をさっさと固めましょう、というのが現古館の立場であり、これは「学力をつなぐ」視点に基づいています。

小学生の国語は小学生の国語、中学生の国語は中学生の国語、高校生の国語は高校生の国語。

そんな分断は一切無視、そういう塾だとご理解いただける方のみお待ちしております。

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