がらんどうの秀才
広島国語屋本舗現古館 館長の小林です。
「きんちょうすると、オシッコがしたくなるのはなぜ?」
「どうしてサクラの木にはアリが多いの?」
「海はどうやってできたの?」
現古館の小学生が読み、問題を解き、言葉調べをしたり要約をしたりするテキストの一部です。
中学受験の難関校の過去問が出題してくるテーマと比較すると、異質なものに思えるかもしれません。
今年の麻布中は、生きづらさを抱える少年が世界といかに距離をとり、自分の居場所に気付いていくかというテーマでした。
今年の桜蔭中の大問一では、筆者の「言葉」に対する姿勢と、カミュのペスト、銀杏BOYZの峯田の発言との共通項を考えさせるテーマでした。
ただ、どちらも子どもたちが生きているこの世界のことなんですよ。
優先順位
身近な世界のことから扱う。
これが現古館のスタンスです。
これは単に優先順位をつけているというだけです。
プールに入るとき、足バシャバシャ―、お水かけてー、入りましょう!ピー(笛の音)みたいな流れがありましたよね。
あれです。
自分の内面のことであったり、時々刻々と変化する社会のことであったり、抽象的な学問の話であったり。
そこにいきなり飛び込んで、理解できるわけがないんですね。
算数や数学をイメージしてもらえばわかりやすいですが、学問というのは積み上げ式です。
これができるからここれができる。
これができるようになったら、これにつながる、と。
取り組むべき順序があるんですよ。
だから、まずは「おへそって何をするところ」なのかを知ってもらうんです。
世界を知る重要性
失われた〇年。
私が生まれた年から、日本の景気はぐんぐん落ち込んでいって、そう名付けられています。
私が今年で30になりますから、失われた30年。
失われし時を生きる国語講師です。
2022年度の出生数が77万、志望者数が155・1万。
77・9万の人口減です。
広島で考えると、福山市が1.7個消滅する計算になります。
日本が沈みゆく国であるのは疑いようもない事実で、私たち一人がどうこうしたところで歯止めがきく状態ではありません。
それでも、国外に行くことを考えなければ、この国で生きていく他ないわけです。
そのとき、自分を守れるのは自分だけ。
自分の頭で考えて、自分で動くことが何より必要で、それにはやっぱり知識がいるんですよ。
知識を運用するためには何が必要か。
知識を身に付ける上で必要なのは何か。
言葉を扱う能力ですよね、ということです。
言葉を扱う能力を身に付けながら、世界のことを知ることができたなら、一石何鳥でしょうか?
がらんどうの秀才
与えられたことを誠実に、着実にこなす力があれば秀才にはなれるんでしょう。
それができるだけで優秀であることは間違いありませんが、まぁ、やってできないことはない。
ですが、自分がどういう世界に生きていて、どう動いていかなくてはならないのか、それを考えるためには、知識に自らアクセスしていく経験が必要です。
情報を適切に受け取り、知的好奇心を満たしながら、世界を広げること。
そういった経験を積んでもらい、自ら動く力を養ってもらうことが私の理想であり、国語の成績向上はそれにくっついてくるものだと考えています。
こういうことばかり言っていると、肝心の国語の成績は?と聞かれることもありそうが、この記事をここまで読んでいただけた方にはご賢察いただけると思います。
私はがらんどうの秀才を育てるために、国語塾を主催しているわけではありません。