和光大学「キャリア論」での経験に寄せて

広島国語屋本舗現古館 館長の小林です。

先日、社会学者の打越正行さんのご厚意で、和光大学でお話をさせてもらいました。

「キャリア論」という授業の内の1コマという位置づけで、地方で勝負を賭けている若者(?)としてお招きいただいたわけです。

地方でもやり方次第で活路が拓けること、地方ならではのしんどさをお話したのですが、70名以上の学生さん相手になかなかウケたことが一番うれしかったですね。

私たち講師があらかじめ描いていた青写真とは全く違った形で教室の空気が動く瞬間もあり、大変学びのある経験をさせていただきました。

老害

先ほど、「教室の空気が動く瞬間」と書きました。

講師の鼎談が終わった後、学生さんに質問や感想を募る時間があったんですね。

いわゆる三代目系のグループにいそうな、鼻ピアスを装備したワイルドイケメンの学生さんが、こんな感想を述べてくれました。

「今まで来た講師の人らって、いわゆる老害みたいな、今の和光大学の学生は〇〇みたいに説教かましてくる人が多かったんですけど、そういうのと違って、すごく面白くて分かりやすかったです。」

およそこんな感想だったと思います。

「僕らの老害%はどれくらいでした?」と聞くと、「いや全然…。20%くらい。」との答えが。

何人かいた居眠りした学生さんも途端に身を起こし、爆笑の渦。

鮮烈な瞬間でした。

信頼関係ありきのぶっこみ

私たちの伝えようとしていたメッセージの核は、「自分を信用して勝負を賭けよう」という話でした。

東京で生きる上で、地方で生きる上での可能性としんどさについて紹介しながら、結局は自分が選んで勝負を賭けるしかない、ということですね。

それを伝える上で、可能な限り学生時代の自分の感覚に戻って、伝わる言葉を選ぼうと努めました。

そもそも私は、当時大学で必修とされていたキャリア論の授業のくだらなさに、一回も受講することなく切った人間です。

ですから、学生の生きる世界の感覚とずれた言葉というものは、相応に理解していたつもりでした。

けれども、20%老害だったわけです笑

自分のやりたいことを選んでつっぱしって欲しい、そしてそれを追ううえでのしんどさをどうやったら軽減できるのかを経験則から伝えたい。

こんな思いがあったわけですが、やはりどこか説教くさくなってしまうところは出てきてしまうんです。

そこを先の学生さんはしっかりと指摘してくれたんですね。

「老害」という言葉は強い言葉です。

それを大学の講義内で使って直接講師に伝えるというハードルはどれほど高かったことでしょう。

なおかつ、彼はこれまで11回の講義の中で、そういった言葉を使うことを我慢してきたわけです。

出会って60分かそこらの人間を、そういう言葉を伝えても受け止めてくれる大人として最低限認めてくれたという事実をとても嬉しく感じました。

もっと伝わる

今回の講義を経て、反省すると同時に希望も生まれました。

言葉の選び方次第でもっと伝えたいことを伝えられたな、ということです。

これは先の学生さんについても同じことで、「老害」という言葉を「僕たち学生の生きている感覚を理解しようとしない人」と言い換えることで、大人の世代にも誤解なく伝わる言葉になります。

何かを伝えるためには言葉が必要で、誤解なく伝えるためには相手に寄り添った、練られた言葉が必要ということですね。

そして、そういった言葉を獲得していくためには、言葉と真摯に向き合い続けるしかない、ということが言えます。

私の仕事は国語の成績を上げることですが、そこだけはゆるがせにするまい、と改めて決意しました。