良問に向き合う意義

広島国語屋本舗現古館 館長の小林です。

つい先日、和光大学で講師を務めさせていただく機会があったのですが、広島に戻ってきてみると本格的な冬が到来していて驚きました。

12月は「師走」という言葉にある通り、先生が走り回るほど誰もがせわしく動き回る月ですね。

受験勉強もいよいよ大詰め、といったところです。

さて、本日は良問に向き合うことの意義についてお伝えできればと思います。

通算3年目

講師歴そのものは10年を数える小林ですが、中学受験に真剣に向き合った年数でいうと、今年で通算3年目となります。

私は講師歴のほとんどを、公立中に進学した生徒の学力を伸ばして高校・大学に送り込む役割を担う塾で過ごしてきました。

ですから、つい最近までは中学受験というものと縁遠い生活をしていたわけですね。

けれども、現古館を始めて中学受験の世界に触れ、その魅力に今ではぞっこん(死語)です。

というのも、中学受験の問題の質がとても高いんですよ。

麻布中の国語

受験産業に身をおく人間にとっては常識となっているのが、麻布中の入試問題の質の高さです。

国語についてもそれは同様で、その学校が初めて生徒に行う授業としての役割がしっかり果たされています。

設問の内容、配置、誘導、どれをとっても一級品です。

このレベルの問題に向き合うために対策を行っていくということは、記述解答のコツがどうだという方法論を学ぶだけではなく、文章を読んで理解することの本質を突き詰めていくということになります。

語彙の上で、体験の上で、読解の上で、真っ当な訓練を積んでいかないことには、全く太刀打ちできないのですね。

そういった難敵と学年が若いうちに出会えることは、貴重な財産だと思います。

国語は学習しなければ理解できない、解けない、という経験を知らないまま大学受験までいってしまう子がほとんどですからね。

良問で学ぶ

良問で学ぶメリットは沢山あります。

難度が高くはありますが、問いの精度が高いため、自学でなく授業内で扱うなら、受験対策としての効果は絶大です。

文章そのものに学びがあるものが多く、教養も深まります。

先に申し上げた通り、国語が「学習するもの」だという感覚を身に付けることもできます。

しかし、何よりも、

問題を解くことで文章の読みが深まる感覚を実感できること

が重要だと私は考えています。

読んで、考えたら、もっと分かる!

分かっていなかったところが見える!

この感覚をぜひ実感してもらいたいのですね。

分かったつもりで読んでいても全く細部を理解できていないというケースは、国語を教えていると嫌というほど目にします。

現代文で「市民」という言葉が出てきて、「〇〇市に住んでいる人」と答える生徒の多いこと!

細部に目をやるためには、細部に目をやる必要のある問いに向き合うのが一番です。