高校古文:助動詞「べし」「まじ」の練習問題
広島国語屋本舗 現古館・館長の小林です。
引き続き、古文文法の鬼門、助動詞の識別についての記事を配信いたします。
本日は、終止形接続の助動詞「べし」「まじ」の練習問題にチャレンジしましょう。
練習問題
問、傍線部(ア)(イ)(ウ)(エ)を、「べし」の意味を考えてそれぞれ口語訳し、さらに「べし」の活用形の名称を書きなさい。(岡山大)
(中国に貧しい餅売りの夫婦がいたが、あるとき銀貨6枚の入った袋を拾った。)
普くふれけるに、主といふ者出来て、これを得てあまりに嬉しくて、「三をば奉らん」と言ひて、(ア)既に分かつべかりける時、思ひかへしいて、煩ひを出さんために、「七こそありしに、六あるこそ不審なれ。一をばかくされたるにや」と言ふ。「さる事なし。もとより六なり」と論ずる程に、はては国の守の許にして、これをことわらしむ。国の守、眼賢しくして、この主は不実のもの、この男は正直のものと見ながら、なほ不審なりければ、かの妻を召して、別の所にして事の子細を尋ぬるに、夫が申状にすこしもたがはず。国の守の判にいはく、「この事慥(たしか)の証拠なければ判じがたし。ただしともに正直の者と見えたり。夫妻又詞たがはず。主の詞も正直にきこゆれば、(イ)七あらむ軟挺を尋ねてとるべし。これは六あれば、別の人のにこそ」とて六ながら夫妻にたびけり。宋朝の人、いみじき成敗とぞ、普くほめののしりける。心直ければ、おのづから天の与へて宝をえたり。心まがれるは、冥とがめて財を失ふ。(ウ)この理すこしもたがふべからず。(エ)返す返すも心は清くすなほなるべきものなり。
解答・解説
(ア)いよいよ分けようとしたとき(連用形)
助動詞「べし」の識別は、ひとまず可能の訳を当てることからはじめます。
ここでは「いよいよ分けることができるとき」という訳がうまくはまりませんから、文脈で判断していくことになりますね。
直前に主といふ者が「三を奉らん」と発言しています。
言ひ「て」、のように、接続助詞「て」でつながる前後の主語は原則同じなので、「分かつ」の主語も主といふ者なんですね。
ということで、ここも「意志」の訳をあてはめるとよいでしょう。
(イ)七つある銀貨を捜して手に入れなさい(終止形)
発言しているのが国の守という、判決を下す立場にある人だということから、命令の訳をあてるのが自然でしょう。
もちろん、適当の訳をあて、「七つある銀貨を捜すのがよいでしょう」としていても問題ありません。
(ウ)この道理は少しもくい違うはずがない(未然形)
(エ)くれぐれも心は清く正直でなければならないものである(連体形)
上の両者は、この本文全体の主題に関わる部分ですね。
ということは、導かれた結論の優位性を示す文脈になるので、「当然」で訳していくのが自然でしょう。
もちろん、「命令」の訳をあてることもできますから、そちらで訳していても問題はありません。
上の解説にもあるように、現代語訳の問題は、訳が1つに確定しないものも多くあります。
まずは品詞分解をし、識別基準にのっとりながら、文脈に合うように大意をとっていくという方針でチャレンジしてみてください。