「作業」の怖さ
広島国語屋本舗現古館 館長の小林です。
以前、お子様の言葉を奪わないでください、とお願いする記事を書きました。
本当にお子様のことを考えておられるなら、お子様の言葉を代弁する(ないし、したつもりになる)ことを、ぐっとこらえて待ってください、という趣旨のお話です。
本日は、「待つ」というテーマについて、もう少し深掘りしてお話してみようと思います。
「教育」の語義
先述した記事の最後に、「待つことも立派な教育です」と書きました。
これは、本来矛盾した言い方なんですね。
「教育」の「教」の字の部首「のぶん」は、むちうつ、という意味を含んでいます。
ある程度の強制力をもって、特定の方向へと導いていくこと。
これが「教育」という言葉がもっている意味です。
「待つ」「むちうつ」。
なんだか、同居しそうにない言葉ですね。
役割の違い
なぜ私が「待つ」ことをお願いしているかというと、単純に保護者の方と指導者との役割が違うからです。
具体例を挙げましょう。
様々な事情で、学校へ行くことが難しい生徒がいたとします。
教育の現場では、そういった生徒に対して「見守る」「待つ」フェーズが必要だとされます。
しかし、その「見守る」「待つ」と言う行為は、「何もしないこと」を単純に意味するのでしょうか?
勿論、もっとも身近で、生徒の心の支えとなる保護者の方であれば、ただありのままを受け入れる態勢を整えておく必要もあるでしょう。
けれども、教育者は、「教育」をすると仮にもいうのであれば、「何もしない」でいていいわけがありません。
「いま・ここ」ではない、ありうべき未来の姿を少しでも想像できるよう、1日1ミリでも前に進めるよう、適切な仕方での声掛けを繰り返す必要があります。
不断の働きかけを受け、それを受け止めて動き始めるのは本人の力ですが、そこに至るまでには、様々なプロの働きかけがあるわけです。
「待つ」のは保護者の方の役割、「働きかける」のは指導者の役割というわけです。
国語の成績の伸び方
国語の話に移ってみましょう。
私は10年ほど国語の指導に携わっていますが、国語の成績の伸び方は、大きく2パターンに分類できます。
①指導し始めてすぐに結果に反映されるパターン
②数年指導する中で、じわじわと結果がついてくるパターン
なぜこのように伸び方が分かれるかというと、「国語が苦手」と一口にいっても、その原因は細分化されるからです。
以下、考えうる「国語が苦手」の原因を列挙してみます。
①読み方が分かっていない
②解き方が分かっていない
③語彙力が足りていない
④書いてあることが想像できない
上2つが原因の場合、結果はすぐについてきます。
言葉はたまっていながら、それを発揮する方法を知らないだけなので、知ればおしまいです。
しかし、下2つが原因の場合、結果が出るまでは相当な時間がかかります。
「サヨナラホームラン」という言葉を知らず、想像もできない人に野球がテーマの物語が理解できるはずありませんよね。
「作業は得意」の怖さ
語彙力が足らないだけなら、それなりに対処の方法があります。
言葉を仕入れ、定着させていくのにぴったりの教材が、世の中にはたくさんありますから。
けれども、たいていの場合、言葉が示している内容を具体的にイメージ化できないという困難もついて回ります。
たとえば、「計算問題は得意だけど、文章題が苦手」であるとか、「選択肢問題はできるけれど、記述問題ができない」であるとかは典型的な症例です。
結論から申し上げますと、「作業はできるけれど、意味を考える力はついていません」というのが正しい認識です。
これは本当に怖いことで、なまじ作業が精確であったり、スピードが速かったりすると、問題の重大性に気づけません。
ひどい指導者であれば、問題と解答は全くかみ合っていないのに、模範解答に使われている単語が解答にあると「惜しいね」と声掛けしたりします。
見て見ぬふりをしている、いや問題すら見えていないのかもしれませんね。
口頭試問
さて、「意味を考える力が弱い子は伸び悩む」というだけのお話を、ずいぶんと字数を使ってご説明してきました。
しかしながら、重要なのは「じゃあどうするの?」ということですよね。
そこで私が繰り返し申し上げているのは、「口頭試問の重要性」です。
生徒が「意味」にたどり着けるように、質問を微細に調整しながら、粘り強く質問をし続けることが重要です。
「粘り強く質問をしましょう」くらいのことは、誰にでも言えます。
大切なのは「微細に調整しながら」の部分です。
こういった場所に専門性が宿るわけですね。
具体的な方略についてはここではお伝えしませんが、「わかりません」で済ませないこと、というヒントだけ示しておきます。