高校古文:縁語の確認問題②

広島国語屋本舗 現古館・館長の小林です。

本日も縁語の確認問題を配信いたします。

過去学んできた修辞法との関連性を確認しながら進めていきましょうね。

確認問題

1、《   》部の和歌の表現について述べた次の文の、空欄甲・乙に入るべきもっとも適当な語を、それぞれ漢字で記せ。(成蹊大学)

《住みわびて たち別れぬる 故里も きてはくやしき 旅衣かな》

「きて」の「き」は、「来」と「着」の( 甲 )であり、また、その後者の「着」は、「裁ち」とともに( 乙 )の縁語である。


2、AおよびBの和歌から「弓」の縁語を三語指摘せよ。(活用語は終止形で示せ)。(東京学芸大学)

A:そるまでは 恨みしかども 梓弓 まことの道に いるぞうれしき

B:そるとても 何か恨みむ 梓弓 ひきとどむべき 心ならねば


3、「嘆きつつ みを早き瀬の そことだに 知らず迷はん あとぞ悲しき」の和歌について説明した次の文章の空欄部A~Dを補え。なお、( A )は二字の語句、( B )は一字の語句、( C )は和歌の修辞の名称を答え、( D )は適する表現を答えよ。(高知大学)

「嘆き」には「投木」が掛けられ、「みを」は「澪」と「( A )」、「そこ」は「其処」と「( B )」が掛けられている。また、「投木」「澪」「瀬」「( B )」は( C )の関係にある。「あと」はここでは「死後」の意であり、この和歌全体の意味は、「失恋の悲しみに嘆きながら( A )流れの速い川瀬の( B )に沈めたとしても、( D )」となる。


4、《   》部に用いられている「縁語」について説明せよ。(首都大学東京)

淀みなく 涙の川は ながるれど 《おもひぞ胸を やくとこがるる》


5、和歌Aには、どのような表現技法が用いられているか、具体的に説明しなさい。(大阪大学)

女院も通盛の卿の申すとはかねてよりしろしめされたりければ、さてこの文をあけて御覧ずるに、*1:妓炉のけぶりのにほひことになつかしく、*2:筆のたてどもよのつねならず、「あまりに人の心づよきもなかなか今はうれしくて」なんど、こまごまとかいて、おくには一首の歌ぞありける。

A:わがこひは ほそ谷河の まろ木ばし ふみかへされて ぬるる袖かな

女院、「これはあはぬをうらみたる文や。あまりに人の心づよきもなかなかあたとなるものを。・・・(省略)」

*1.きろのけぶり:妓女が香炉にたく香の煙。ここでは、手紙にたきしめられた香の匂いを表現したもの

*2.筆のたてど:筆の使い方、の意

解答・解説

1、甲:掛詞 乙:(旅)衣

解説文の誘導が親切すぎますから、ここは確実に合わせていただきたいところです。

甲を間違えてしまった場合は、もう一度各修辞法の定義を確認しましょう。

《住むのがつらくなって別れてきた故郷も、ここに来てみると、着ているものも悔やまれる旅衣であるよ。》


2、そる、いる、ひく

この和歌を、仏教に関わる和歌だと判別できたかどうかがポイントです。

仏道のことを「まことの道」と言いますが、その道に「入る(いる)」には髪を「剃る(そる)」必要があり、それを「引き(ひき)」とどめようとする俗世のしがらみ多いわけです。

これが掛詞の表に出ている意味なのですが、「弓の縁語を三語指摘せよ」とあるように、隠れている意味3つが「弓イメージ」の縁語となります。

そうなると、「射る」「反る」「引き」がさくっと出てくるはずです。

《A:髪を剃って出家し尼になるまであなたは私のことを恨んでいたと聞きましたが、そのあなたも仏道に入ったと聞いて私はうれしく思っています。》

《B:出家して尼になったことをなんであなたのせいだと恨みましょうか。いやあなたのせいではないので何も恨むことはありません。とても私がひきとどめることのできるようなあなたの決心ではないので。》


3、A:身を B:底 C:縁語 D:そこがどことさえも分からずに、死後も私の魂は迷うのであろうと思うと本当に悲しいことだ。

A、Bに関しては、自然と人間が掛けられているという観点をもっていれば、思いつくレベルだと思います。

Cは四語から「川のイメージ」を連想して縁語だと判断しましょう。

Dは難しいですが、部分点を狙っていきたいところです。

難解な箇所の現代語訳の方針として重要なのは、

①直訳気味に訳してみる

②意味が通らない点・補足が必要な点を意訳して日本語を整える

という手順を踏むことです。

①なくして②は成立しませんし、①さえできていれば部分点は狙っていけますからね。


4、「やく(焼く)」と「こがるる(焦がるる)」は「おもひ」の「ひ」に掛けられている「火」の縁語

《   》で示されているのは下の句です。

つまり、枕詞・序詞の中に中心語があるパターンではないということですね。

ということは、掛詞が縁語を導くパターンだと判断できます。

すると、覚えておきたい掛詞「おもひ」が発見でき、そこに隠れている意味「火」が中心語となります。

「火のイメージ」さえつかめれば、「焼く」と「焦がるる」を見抜くのは容易でしょう。

とてもシステマティックに解ける良い問題だったと思います。

《淀むことなく涙の川は流れるが、思いの火がきっと胸を焼くと、恋焦がれることだ。》


5、「ほそ谷河のまろ木ばし」は「ふみ(かえされて)」を導く序詞
「ふみかえされて」は「(橋が何度も)踏み返されて」と「文返されて」の掛詞
「踏み」は「橋」の縁語
「濡るる」は「河」の縁語

なかなか脳が痺れる問題です。

修辞法を考えていくわけですが、まず初句と第三句を確認して、枕詞がないことをおさえておきましょう。

次に序詞ですが、この和歌はなかなか複雑な構造を持っています。

「私の恋は」と人間の心情を詠み、「細い谷川にかかる丸木橋を踏み返されて」と自然の内容が来ます。

そして、「濡れてしまう袖だよ」と悲しみを示唆する「人間の心情」に戻っていますね。

ここまでの文章が読めていて、掛詞はひらがな部分に多く表れるという原則を知っていれば、「丸木橋が踏み返されて(自然)」と「文返されて(人間)」が掛詞だということは判断できると思います。

序詞は自然から人間の心情を導いていくわけなので、自然を詠んだ部分「ほそ谷河のまろ木ばし」が人間の心情を詠んだ部分「ふみ(かえされて)」を導く序詞だとここで判断できます。

最後に縁語ですが、縁語はまず枕詞・序詞の中に中心語があることが多いので、序詞の中身を確認しましょう。

ここまでくれば、「橋のイメージ」の「踏み」、「河のイメージ」の「濡るる」がそれぞれ縁語として捉えられると思います。

《女院も通盛卿が(小宰相殿に)言い寄り申し上げているのは以前からご存知だったので、そこでこの手紙をあけて御覧になると、手紙にたきしめられた香の匂いが格別に心ひかれて、筆の使い方も世間並みでなく、「あまりにあなたが私になびかないという意志が固いのもかえって今では嬉しく思いまして」などこまごま書いて手紙の終わりには一首の歌があった。 A:私の恋は細い谷川にかかる丸木橋のようなものです。何度も多くの人に踏み返されて、谷川の水に濡れてしまっているように、難度もあなたから手紙を突き返されて、私は涙で袖を濡らしていることですよ。 女院は「これは逢ってくれないのを恨んでいる手紙だなぁ。あまりに人の強情なのもかえって我が身の不幸となるのになぁ。・・・」》