高校古文:縁語の確認問題①
広島国語屋本舗現古館・館長の小林です。
今回から、実際の入試問題を用いた縁語の確認問題を配信します。
確認問題
1、( )に入る和歌の修辞技法の名称を答えなさい。(愛媛大学)
「風になびく 富士のけぶりの 空に消えて ゆくへも知らぬ わが思ひかな」
和歌の表現上のいわば約束として、「思ひ」に「けぶり」の( )「火」が掛けられていることは確かである。また、「思ひ」「けぶり」「火」という言葉が直ちに恋を連想させることも事実である。しかしながら、この詠が生涯の終わり近く、七十になろうとする年の旅路で得られたものとすれば、「思ひ」を恋の思いに限定して読もうとすることには無理がある。この場合の「思ひ」は、さまざまな想念を包み込んだものであろう。
2、《 》A~Cには和歌のどのような修辞が用いられているか。次の中からもっとも適切なものをそれぞれ一つずつ選べ。ただし同じものを二度選んではならない。(上智大学)
逢坂山打ち越えて、瀬田の唐橋駒もとどろと踏み鳴らし、雲雀揚がれる野路の里、《A:志賀の浦浪春かけて、霞にくもる鏡山》、比良の高嶺を北にして、伊吹の岳も近付きぬ。心を留むとしなけれども、荒れてなかなかやさしきは、不破の関屋の板びさし、《B:いかに鳴海の潮干潟》、涙に袖はしほれつつ、かの在原のなにがしの、《C:唐衣きつつなれにし》と詠めけん、三河国八橋にもなりぬれば、蜘蛛手にものをとあはれなり。
a 掛詞
b 枕詞
c 縁語
3、《 》部の和歌の技巧に関する次の解説文の空欄を全て漢字で埋めよ。(宮崎大学)
八幡に姫君とともに泣く泣く参りて、
身の憂さを なかなかなにと いはしみづ 思ふ心を 汲みて知るらむ
*八幡:石清水八幡宮のこと。京都府八幡市にある神社。貞観元年(八五九)、宇佐八幡宮を勧請したもの。
(和歌の技巧解説)
この歌の「憂さ」は「憂さ」と( ① )、「いはしみづ」は「言はしみづ」と( ② )の掛詞であり、その二つ及び、「しみず」と「汲みて」は( ③ )である。
解答・解説
1、縁語
「けぶり の」「連想させる」など、縁語のにおわせが盛りだくさんですね。
2、A-c B-a C-b
Aは掛詞も枕詞もないにで、解答は縁語に自動的に決まりますね。
「くもる」と「鏡」が縁語ということになります。
Bは「いかに鳴海」と「いかになる身」とが掛詞になっています。
「どのように鳴海の干潟」という訳は意味不明ですから、自然と人間とが掛けられていることに気付きましょう。
Cは「唐衣」が「き」を導く枕詞ですから、こちらも覚えておきましょう。
《一行は逢坂山を通り越えて、瀬田の唐橋も駒音(馬の足音)高く踏み鳴らして渡り、雲雀の空高くさえずっている野原を通り過ぎ、志賀の湖畔では波が春を待ち受けているように見え、霞に煙っている鏡山、比良の高嶺を北に見て進むうちに、伊吹の山も近付いた。特に気にかけていたわけではないが、荒れ果ててかえって優雅で趣深いのは、不破の関屋の板ひさしで、自分はいったいどうなる身なのかと鳴海の干潟を過ぎ、涙で袖を濡らしながら行くうちに、その昔あの在原のなにがし(在原業平)が、「唐衣きつつねれにし」ともの思い顔で詠んだとかいう、三河の国の八橋に着いたので、蜘蛛手のようにあれこれもの思いをすることだ、と感慨深い。》
3、①宇佐 ②石清水 ③縁語
注釈がヒントになる問題は本当に多く、ここの確認は絶対にしておきましょう。
今回は①②がいきなり解けてしまうサービス問題になっていますね。
③は「神社のイメージ」で①と②が、「水のイメージ」で「しみづ(清水)」と「汲みて」が縁語だと分かる。
前者は掛詞の表に出ていない語同士が関連しているパターン、後者は掛詞の表に出ていない語とそれ以外の語が関連しているパターンです。
《わが身のつらさをかえって何とも言わなくても、石清水八幡宮の神様は私の思う心は汲みとって知っているだろう。》