高校古文:掛詞の確認問題③
広島国語屋本舗 現古館・館長の小林です。
前回に引き続き、掛詞の確認問題をやっていきましょう。
確認問題
1、二つの意味が掛けられている語が二語ある。その二語をそのまま書き抜け。(早稲田大学)
八月十日あまりは、日数のみふる雨の中、いとど晴れぬ雲居は、山高き心地してものむつかし。
2、( )には「宮中」の意味をあらわす語が入るこの和歌の技巧をふまえて、空欄を埋めるのに最も適当な漢字二字を記せ。(早稲田大学)
いにしへの 奈良の都の 八重桜 けふ( )に 匂ひぬるかな
3、「蜻蛉日記」の作者は、結婚してわずか一年あまりの時期に、夫の浮気を知る。次の文章は、その夫との間の、ある冬の日の出来事を記した一節である。文章を読んで、問に答えよ。
これより、夕さりつかた、「うちの方ふたがりけり」とて出づるに、心得で、人を付けて見すれば、「町の小路なるそこそこになん、とまり給ひぬる」とて、来たり。「さればよ」と、いみじう心うしと思へども、言はんやうも知らであるほどに、二三日ばかりありて、あかつきがたに門をたたくときあり。「さなめり」と思ふに、憂くてあけさせねば、例の家とおぼしきところにものしたり。つとめて、なほもあらじとおもひて、
(A)なげきつつ ひとりぬるよの あくるまは いかにひさしき ものとかはしる
〈・・・中略・・・〉
(B)げにやげに 冬の夜ならぬ 真木の戸も おそくあくるは わびしかりけり
*一行目「これ」は作者の家を表す。
*「方ふたがり」:ある方角へ出かけることを避けなければならない事態。
*「町の小路」:夫の新しい通い所の地名。その地名からこの女性は「町の小路の女」とよばれる。
*「なほもあらじ」:そのままおとなしくしているわけにはいかない、の意。
問:歌Aに用いられている掛詞を指摘し、二つの意味を歌A、B中の語を用いて記せ。(九州大学)
4、「頭中将の御小舎人童」が詠みかけた歌は、どのような意味か。最も適当なものを選択肢から一つ選べ。(関西大学)
いずくにかあらむ、薄色着たる、髪はぎばかりある、かしらつき、やうだい、なにも、いとをかしげなるを、頭中将の御小舎人童、思ふさまなりとて、いみじくなりたる梅の枝に、葵をかざして取らすとて、
梅が枝に 深くぞたのむ おしなべて かざす葵の ねも見てしがな
a:この梅の枝に深く頼みをかけます。この枝に実がたくさんなっているように、あなたへの恋も実を結んで、今日皆がかざしている葵の根というように、逢う日を得て共寝をしてみたいものです。
b:この梅の枝に深く頼みをかけます。この枝に花がたくさん咲いているようにあなたへの恋も花が咲いて、今日皆がかざしている葵の葉というように、逢う日を得て言葉をかわしてみたいものです。
c:この梅の枝に深く頼みをかけます。この枝に花が咲き実がなるように、あなたへの恋もいずれは実を結んで、今日皆がかざしている葵の花のように、逢うことがかなう日まで私の思いはだんだん色濃くなってくるでしょう。
d:この梅の枝に深く頼みをかけます。この枝につぼみがたくさんついているように、あなたへの恋ももうすぐ花開いて、今日皆がかざしている葵の根が深いように、近々逢う日を得て私の深い思いをお伝えしたいものです。
e:この梅の枝に深く頼みをかけます。この枝が見ての通りの古木であるように、あなたへの恋もずいぶん以前からのものなのです。だから、今日皆がかざしている葵のように、どうか逢う日を決めていただきたいものです。
5、「おし放ちていらふ」という表現は、〈説明文〉のように説明できる。この説明文の空欄Ⅰ・Ⅱを適当な語句(Ⅰは漢字と平仮名をまじえて、Ⅱは漢字一字で、答えること)で埋め、また、Ⅲ、Ⅳを現代語に訳しなさい。(関西学院大学)
「梅が枝に 深くぞ頼む おしなべて かざす葵の 根も見てしがな」と言へば、
「しめの中に 葵にかゝる 木綿蔓(ゆうかずら) 繰れど根長き ものと知らなむ」と、おし放ちていらふも、戯れたり。
〈説明文〉
小舎人童が取らせた歌の「葵」には( Ⅰ )という意味が掛けられ、更に「根」には( Ⅱ )という意味が掛けられていて、しかも「Ⅲ:見てしがな」と述べるのであるから、若者らしい求愛の意味を色濃くもっている。これに対する返歌は、葵の根を葵に絡んでいる「木綿蔓」の根と置き換え、この木綿蔓を繰っても繰ってもなかなか根には届かないのだということを「Ⅳ:知らなむ」と応えたのである。もちろんここでも「根」には( Ⅱ )が掛かっているが、いわば性急な求愛に対して、「そんなに簡単にあなたの思い通りにはなりません」と突っぱねてみせたのが、「おし放ちていらふ」ということなのである。
解答・解説
1、ふる・雲居
「日数のみふる」は「経る」で、「ふる雨の中」は「降る」で意味が通るので、発見は容易だったかもしれません。
しかし、「雲居」が「空」と「宮中」の掛詞だという知識を持っていないと、こちらは思い浮かばないと思います。
八月十日過ぎは、日数ばかりが経過して雨が降る中、いっそう晴れない宮中の空は、周囲の山が高いような感じがしてなんとなくうっとうしい。
*宮中:内裏(だいり)・内・九重(ここのえ)・雲の上・雲居・禁中・禁裏・大内など
2、九重
八重桜から「九重」を連想できる人や、そもそもこの和歌を知っている人は導けるでしょうが、どちらにせよ知識問題ですよね。
「宮中を表す語」は読解にも関わる重要語なので、この機会にマスターしておいてください。
ちなみに、場所を示す代名詞「ここ」と「九重」が掛詞になっています。
古都である奈良の都で割いていた八重桜が、今日はここ、宮中で美しく咲いていることだよ。
3、掛詞:あくる 二つの意味:「夜が明ける」と「戸を開ける」
Aの和歌を直訳気味に訳していくと、「夜のあくるま」から、「明くる」はとれると思います。
さらに、直前の文章で戸を開ける話をしており、Bの和歌にも「戸もおそくあくる」とあるので、門の開閉、つまり「開くる間」を連想していきましょう。
やはり、直前の文章の理解が和歌の解釈のヒントになるわけですね。
問題文中に「歌A、B中の語を用いて」という誘導があることからもわかる通り、必要なヒントは与えられているわけです。
そこを逃さず取っていきましょう。
私の家から、夕方ごろ、「宮中の方角が方塞がりになった(ので出かけなくてはならない)」と言って夫の兼家が出ていくので、私は不審に思って、家の召使に夫の後をつけさせて様子をみさせたところ、「町の小路にあるどこそこに、車をお止めになりました」と言って、戻ってきた。
「やはり(私の思っていた通り、夫はよその女のもとに通っていたよ)」と、たいそうつらいと思うけれども、夫に対して何といってやればよいものかも分からないでいるうちに、二、三日ばかり経って、夜明け前ごろに門をたたく音のするときがある。
「夫が訪れてきたようだ」と思うと、不愉快であり、私は戸を開けさせないでいると、夫は例の女の家だと思われるところに行ってしまった。翌朝、「やはり(このまま大人しくしているわけには)いかない」と思って、
(A)戸を開けるわずかな間さえ待ちきれずに帰ってしまう(あなたには分からないでしょうが、あなたのおいでを待ち焦がれ、)嘆きながらひとりで寝る夜が明けるまでの間がどれほど長いものか、あなたはご存知ですか、いやご存じないでしょうね。
(B)本当に本当に(あなたのおっしゃる通り、冬の長い夜を待ち明かすのがつらいというのはもっともですが、その)冬の夜ではない(あなたの家の門の)真木の戸が開くのが遅いというのは実に辛いものですよ。
4、a
前提として、この和歌が女性をなびかせるために詠まれたものだということはおさえておきましょう。
そう考えると、「かざす葵のねも見てしがな」を直訳すると奇怪な人物が誕生してしまいます。
「かざした葵の根っこも見てみたいな♡」と言われて、「好き♡」となる人が皆さんの中にいらっしゃったら申し訳ありませんが、私はその人を変人だと断じます。
明らかにここにも掛詞があるわけで、「根」と「寝」に気づければ一撃の問題でした。
どこかの少女であろうか、薄紫色の着物を着て、髪はすねほどの長さもあり、髪の様子、容姿、すべてがたいそう美しい少女を見て、頭中将に使えている召使の少年が理想の通りの女だと思って、たいそう実がなっている梅の枝に葵を飾り付けて与えると言って贈るときに、
すばらしく実ったこの梅の枝に(私の恋も実がなるように)深く頼みをかけます。今日一般に皆がかざす葵の葉だけではなくその根までも見たいように、今日の逢う日だけではなく二人で寝ることもしてみたい。
なぜ葵の葉をかざしているんですか?
かつて「賀茂祭」と呼ばれた神事の伝統です。
今は「葵祭」といった方が一般的でしょうか?
葵祭が開かれる神社の神紋であるフタバアオイの葉を、桂の茎にくっつけて頭につけたりするんですね。
平安装束で行列が練り歩く姿が見られてとっても面白いですよ。
5、Ⅰ:逢ふ日 Ⅱ:寝 Ⅲ:見たい(ものだ) Ⅳ:知ってほしい(分かってほしい)
問4で登場した和歌に対する返歌が出てきましたね。お相手の少女はなかなかの恋愛巧者なようです。
いや、小舎人童がへたくそなだけ…?
今度は「ね」が「根」と漢字表記されていますが、難度を高めるためにこういった工夫がされることもあります。
願望の終助詞「てしがな」、他者願望の終助詞「未然形+なむ」がⅢ・Ⅳを解く上でのポイントですが、細かい解説は4と被るので省略します。
しめ縄をめぐらした加茂神社の境内にかかっている木綿蔓は、蔓草なのでいくら手繰りよせても根が長くて届かないように、いくらあなたが通って来ても共に寝ることは長い先のものだと知ってほしい。