高校古文:序詞の確認問題③

広島国語屋本舗 現古館・館長の小林です。

前回に引き続き、序詞の確認問題をやっていきましょう。

確認問題

1、一首、序詞を用いた歌がある。そこでの序詞の技法について説明せよ。(九州大学)

・関越えて 今日ぞ問ふとや 人は知る 思ひ絶えせぬ 心づかひを

・あふみぢは 忘れぬめりと 見しものを 関うち越えて 問ふ人やたれ

・山ながら 憂きは立つとも 都へは いつかうちでの 浜は見るべき

・たづね行く あふさか山の かひもなく おぼめくばかり 忘るべしやは

・憂きにより ひたやごもりと 思うふとも あふみの海は うちでてを見よ

・関山の せきとめられぬ 涙こそ あふみの海と ながれ出づらめ

・こころみに おのが心も こころみむ いざ都へと 来てさそひみよ


2、以下の「いつまで草の」は、「壁に生ふる いつまで草の いつまでか かれずとふべき 篠原の里」という和歌に基づく表現である。この和歌に用いられている修辞を、次のなかからすべて選べ。(立命館大学)

「いつまで草の」とのみおぼゆ。

1.枕詞

2.掛詞

3.序詞

4.縁語

5.折句

6.沓冠


3、次の説明文Ⅰ・Ⅱに該当する歌が、和歌(イ)~(ニ)の中に見出される場合はその記号を、全く見出されない場合はホを選べ。(早稲田大学)

Ⅰ:上の句と下の句にそれぞれ掛詞が用いられている、三句切れの歌。

Ⅱ:深い思いを序詞に重ね合わせながら、表面上は情景に徹した歌。

(イ)今は身の おいその森ぞ よそならぬ 三十あまりも 杉の下蔭

(ロ)まだ知らぬ 深山隠れに 尋ね来て 時雨も待たぬ 紅葉をぞ見る

(ハ)ふるさとに 帰るみゆきの 折からや 紅葉の錦 かついそぐらん

(ニ)名に高き 光を御代の 例とや 最中の秋の 月は澄むらん

*「おいその森」:近江国の歌枕。現在の滋賀県蒲生郡安土町にある奥石神社の森

解答・解説

1、「関山の」が(音の反復によって)「せきとめられぬ」の「せき」を導く序詞になっている

序詞は基本的に7音以上だとお伝えしましたが、今回のような例外もありますから、こちらも覚えておきましょう。

古くは1992年度のセンター試験に「引く網の」という5音の序詞が出題されています。

こちらは「序詞である」ということが問題文で明確に示されていましたが、序詞を見つける基準を理解していないと発見は難しかったでしょう。

逆に、①比喩を示す「の」 ②音の反復 ③掛詞 という基準をおさえておけば、「せき」の反復に気づけたと思います。

ちなみに、「涙」と「ながれ」が縁語「ながれ(流れ)」と「ながれ(泣かれ)」が掛詞になっています。

関山でも堰き止められないほどの(あなたを思って都で流す)涙が、淀川が琵琶湖へと流れ注ぐように、流れていっているのでしょうね。

和歌の現代語訳に「琵琶湖」とありますけど、どこに琵琶湖が出てきたんですか?

「あふみの海」とありますよね。
これが「近江の海」、つまり滋賀県にある海、ということになります。
琵琶湖の別称なのですね。
先日滋賀県に行く機会があったのですが、これはもう海でいいだろうと思いました。

これはもう琵琶海でいい。近くにあったROUND1の場違い感たるや…。

2、2・3・4

「いつまで草」と「いつまでか」が音の反復なので、序詞は見つけられただろうと思います。

「壁に生ふるいつまで草の」が「いつまでか」を導く序詞になっているわけですね。

しかし、「すべて」を選ぶわけですから、和歌そのものの解釈はしていかなくてはなりません。

すると「壁に生えているいつまで草がいつまでも枯れず、訪れることができるだろうか」となるので、訳に違和感が生じますね。

訳の違和感は「掛詞」が存在する合図でした。

「かれず」が「枯れず」と「離れず」の掛詞になっているのですね。

現段階ではここまでできたら及第点で、縁語(「枯れ」が草の)についてはまたの機会にお伝えすることにさせてくださいね。

壁に生えているいつまで草はいつまで枯れないでいるのだろうか。わびしい野原にある我が家に(それと同じくらい長くの間)人が絶えず訪ねてきてくれればいいのに。


3、Ⅰ:イ Ⅱ:ホ

この問題では、効率よく順序だてて処理する力が求められますね。

今は確認問題としてこの問題を解いていますが、実際の入試には時間制限がありますからね。

解答に至るまでのプロセスも重視したいところです。

今回は、まず「三句切れ」の和歌を探すことが先決でしょう。

判断基準が明確かつ容易ですし、それがなければ即「ホ」が解答になるわけですからね。

上の句、下の句それぞれから掛詞を見つけるよりはよほどお手軽だと言えます。

すると、係り結び「ぞ~ぬ(打消「ず」連体形)」を根拠に、イだけが三句切れだとわかりました。

ここから掛詞を考えていけばよいのです。

上の句に「老蘇の森」の「おい」と「老い」との掛詞、「余所」と「四十」との掛詞、下の句に「杉」と「過ぎ」との掛詞が発見できれば答えは決まりです。

次に、序詞を探していきましょう。

ニにある「の」は比喩を表す連用格ではなく、ただの連体修飾格なのでここは違います。

音の反復は見当たりませんし、イ・ロ・ホは上の句から人間についての内容を詠んでいるので、掛詞パターンでの序詞も否定されますよね。

よって、「ホ」だと判断することができます。

イ 今となっては私も「老蘇の森」のように老いを迎えている。四十までとはいかないが、老蘇の森はもう他人事ではなく、三十年余りも杉の下にできる影のような日陰の身であることだ。

ロ まだ来たこともない山奥深くまで訪ねてきて、まだ時雨も降りもしないのに色づいている紅葉を目にすることだ。

ハ 都に帰る御幸になったので、故郷に錦を飾るかのように、美しい紅葉が次々に急いで色づいているのだろうか。

ニ 名高い中秋の名月の光を、帝の御代の陰りない証としているかのように、秋まっさかりの中浮かぶ月は澄んでいるのだろうか。

老蘇の森って斬新なネーミングですね?

実は由来があるらしいのです。
かつての老蘇の森(滋賀県)はとても人が住めたものではないような大荒れの土地だったらしく、そこにとあるおじさんが木の苗を植えて神に祈ったらしいのです。
すると、ずんどこずんどこ木が成長していき、キューピー3分クッキングの要領で大森林が完成したといいます。
そしてその大ファインプレイを繰り出したおじさんは、百数十歳まで長生きしたらしいのです。
そこから、「老蘇の森」と名付けられたといいます。

森じゃなくておじさんの寿命からネーミングされるんですね?長生きすぎますし。

そのへんはいいっこなしでいきましょう。
超有名出典である「大鏡」に出てくる大宅世継と夏山繁樹も200歳近いですし。
「鶴は千年、亀は万年」という言葉といい、どうも昔の人は数字にいい加減だったようですね。
「長生きだし、これくらいの数字でいったれ!」というようなファジーな感覚で生きていた方が楽しい気もします。

おじさんが作ったという老蘇神社。今は「奥石」と表記するらしい。

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