個別指導塾ではありません

広島国語屋本舗 現古館・館長の小林です。

なかなかご理解いただけないかもしれませんが、現古館は〈個別演習形式〉という授業形態を採用しています。

「個別」という単語が入っているだけに、「個別指導」だという誤解を生んでしまいがちなのですが、そうではありませんよ、ということを改めてお伝えしておこうと思います。

親切な講師です、序盤は

現古館の扉をたたいてくださる方の多くは、

・国語の得点がとれない

・国語に苦手意識がある

・文章を読むとはどういうことか、問題を解くとはどういうことかが分かっていない

というような、何らかのマイナスイメージを国語に抱いておられます。

ですから、まずはそのマイナスイメージを払拭して差し上げる必要がある。

そのため、通塾後数か月は、私がほとんど付きっ切りで、手取り足取り指導をするのです。

けれども、〈解の原則〉をある程度伝え、国語の文章を読み、解く上での土台ができたと私が判断した段階で、次第に私の手を放していきます。

「個別」に「演習」する時間を増やしていくのです。

もちろん、文章が読めているかどうかの発問や、記述解答の添削など、生徒自身での確認が困難な要素については、外さず私がチェックをしています。

ですが、何もわかっていなかったときにように、本文を一緒に読んでマーキング箇所を指示したり、本文内容を隙なく解説したり、全ての設問の答え合わせを私がしたりすることはなくしていきます。

なぜなら、試験会場に私を連れていくことは、物理的にはできないからです。

読むのも、解くのも、自分です

結局のところ、「できるようになる」ためには、個々人での絶対的な演習量が不可欠なのです。

絶対に外してはいけない作法を頭に入れた後は、「できるようになる」ための訓練に入らなくてはいけません。

プロの解説力をもってすれば、生徒を「分かった気」にさせてあげることはいくらでもできます。

けれども、私の解説を聞いて「分かった気」になっているだけでは、いつまでも実力は身に付きませんからね。

基本方針、〈解の原則〉に沿って、「自分で」読み、「自分で」解く時間の方が、よほど貴重です。


…先ほど、私を試験会場に連れていくことは「物理的にはできない」と書きました。

つまり、「物理的に」でなければ、可能だということも付け加えておきます。

頭の中に「ミニこば」を住まわせるのですね。

私ならどう読み、どう解き、どう解説するか。

それを想定できる段階までいけば、試験問題の中で、もはや怖いものなんてありません。

唯一、頭の中に私がいるという状況が怖いだけです。