語彙力を身につければ、読解力が身につく?

広島国語屋本舗 現古館・館長の小林です。

読解力の無さの原因として、「語彙力の欠如」がやり玉にあがることが多いと思います。

もちろん、語彙力は大切ですし、その欠如が読解において大いに不利に働くことは間違いありません。

けれども、「語彙力の欠如」というお題目が一人歩きをして、その前段階にある問題が不可視化されていることもまた事実です。

本日は、語彙力をつける以前の大問題についてお伝えしようと思います。

致命的な問題

読解力の無さ。

これは何も子どもたちに限った話ではありません。

大人であっても、満足に文章を読めていない、人の話を理解できていない方は多くいらっしゃいます。

語彙力が読解力を高めてくれるという仮定が正しいなら、これはおかしなことではないでしょうか。

年齢を重ねていくにつれて、私たちは言葉を増やしていきます。

大人の内のほとんどが、子どもたちには及びもつかないほどの言葉を有していることでしょう。

けれども、読めていない。

語彙の多さだけが読解力を担保しているわけではないことの、何よりの証左です。

少し古い著作にはなりますが、「AI VS.教科書が読めない子どもたち」という本が、衝撃的な事実を示しました。

中高生の読解力不足の原因は、問われている内容への無理解である、という結論でした。

しかもこれは、成績層に何ら関係がないのですね。

トップレベルの成績であっても、パターン学習によって得点を重ねてきただけの子どもが多分に含まれているというのです。

これは恐ろしいことですよ。

AIのようにキーワードだけを拾った字面読み、これで得点を取れてしまったという現実。

悲しいかな、得点が取れてしまっているばかりに、読解力不足という実態を不可視化されている。

その場合、自らが抱える問題へ対処しようという思いすら起こしようがない、ということを示しているのです。

しかしながら、はっきり申し上げます。

そのような状態では、必ずどこかで「頭打ち」になります。

早ければ中学生の間に、遅くても大学受験のステージでは壁にぶち当たることでしょう。

いや、そこで壁にぶち当たれたならば、まだ幾分かましかもしれません。

その先。

社会人になってから、自らの読解力の無さを自覚したならば…。

考えるだに身の毛もよだちます。

人生は、ほとんど場合、社会に出てからの方が圧倒的に長いのです。

概念の形成

何度でも申し上げますが、語彙力はもちろん大切です。

言語による思考の大切なツールとして、それはそれで身につけておかなくてはなりません。

けれども、その前段階で、概念が形成されていなくてはなりません。

概念を形成する前に「語彙力」だなんだと言って言葉の海に放り込むのは、コップを用意せずに水を注いでいるようなものです。

概念が形成されているかどうかを確かめるのは、まったくもって簡単です。

「つまりどういうこと?」「××なのはなぜ?」「〇〇にはどうすればいい?」と、聞いてあげれば良いのです。

私が授業で実践しているところの、「口頭試問」ですね。

その問いに答えられない場合は、いち早く対処が必要です。

文章を頭に入れて、再構成ができていないということですから。

概念の形成を待たずに大量の問題演習をさせるのは、ただの精神修行です。

では、どのようにして概念を形成していくのか。

その手法は、プロが持っています。

私は国語の受験指導のプロですが、「受験指導」ができるということは、「受験指導」の段階まで持っていける講師だということでもあります。

まずは、お子さんがどの段階にいるのかを知りましょう。

読解がどうだ、解法がどうだ、というのはその後のお話です。