子どもの言葉を待つ

広島国語屋本舗 現古館・館長の小林です。

10年間の講師生活の中で、本当にいろんな生徒と、保護者の方とご縁をいただいています。

そんな中で、私がひそかに「危険だなぁ」と感じている親子関係があります。(私はその場で言ってしまう質なので、実際には「ひそかに」ではありませんが…)

本日は、親御さんがお子さんの言葉を代弁してしまうという問題についてです。

沈黙してしまう生徒

私の授業では、私が何かを伝える前に、徹底した「口頭試問」が行います。

「〇〇って何?」

「××ってどういうこと?」

「△△なのはなんで?」

「分かりません」という言葉を受けても、

「どこまで分かる?」

「□□までは分かる?」

「◎◎っていう知識は持ってる?」

と、到達点がはっきりするまで質問は続きます。

正直言って、生徒にとって相当な負担だということは分かっています。

けれども、学力を伸ばす上で、「自分で考える」ということは決して外せないところなのです。

自分の今いる場所も知らずにどこかへ向かうことなどできませんから。

ですが、稀に何を質問しても沈黙してしまう子がいます。

原因は大きく分けて2つ考えられます。

1,緊張をしている

2,思考はしているが、それを表現する習慣がついていない

緊張をしているだけなら良いのです。

ただ、考えていることを表現する習慣がついていないという問題は、国語の学力どころの問題ではないでしょう。

自分で何かを考え、それを伝える。

そのための言葉を持っていないのだとすると、国語の試験云々の前に、生きていくことそのものが大変すぎます。

子どもの代弁者

生徒が沈黙してしまう原因を突き詰めて考えていったときに、一番大きな問題は、やはり小さな頃からの習慣でした。

親御さんが、お子さんの言葉を全て代弁してきてしまっていたのですね。

お子さん自身は黙っていても、親御さんが何かを話してくれる。

それが自分自身の考えであるかどうかは関係なしにです。

いや、問題はもっと根深いかもしれません。

親御さんの語る言葉を、自身の気持ちを代弁したものだと思い込み、親御さんの言葉が自分の気持ちだと錯覚している可能性すらあります。

しかし、ちゃんと話を聞いてみれば、本人の考えかどうかはすぐに見抜けますよ。

彼らがぽつりぽつりと語る言葉には、自身の経験が通っていないのですから。

少しでも詳しく話を聞かれると、理由も何も出てこなくなるのですから。

お子さんのことが大切だというお気持ちは、本当によく分かります。

けれども、お子さんのことを本当に大切だと思われるのであれば、お子さんの言葉を「奪う」ことは避けてください。

「待つ」ことのしんどさ

「奪う」という、あえて強い言葉を選びました。

しかし、確かに「待つ」ことをしんどく思うお気持ちは分かるのです。

お子さんの気持ちを、お子さん自身の次に理解しているのは、間違いなく親御さんですからね。

お子さんが言葉を紡ぐまでの「待ち時間」が長いと、「困っているのではないか」と助け船を出してあげたくもなるでしょう。

それでも、待ってください。

お願いいたします。

待ってあげてください。

私は、先に挙げたような「質問に対して沈黙してしまう子」が、堰を切ったように話しはじめる瞬間に、幾度も立ち会ってきました。

こちらがしっかり待てば、溜まった言葉をしっかり返してきてくれます。

「うちの子は〇〇ですから」と語った言葉が、お子さんを、「自分は〇〇だ」という思い込みの枠に閉じ込めてしまいます。

繰り返しお願いいたします。

子どもの言葉を、待ってください。

「待つ」ことも、立派な教育です。