思考の通った「読み」、思考の通った「書き」を

広島国語屋本舗 現古館・館長の小林です。

河合塾の先生が主催されている勉強会に参加してきました。

2021年東京大学文科前期試験の解答を検討するという内容です。

英語・数学・国語の3科目の専門家が集まり、ディスカッションをしてきたのですが、大変刺激を受けました。

4時間に及ぶ勉強会を終えて、改めて気づいたことがあります。

思考の通った「読み」

東京大学前期試験で出題される評論文の特徴は、切り取られた本文全体に意図があるということです。

初めはつながりの見えなかった冒頭の記述が、本文の最後のテーマの理解に密接に関わる、そんなことが多くあります。

本文のそれらしいところをつまみ読みしていたり、意味のつながりを意識せずに読んでいたりする人は、まるで対応ができないようになっているのですね。

そして、それは大半の受験生が対応できないということを示してもいます。

なぜ、その記述があるのか。

そこに思いを致す必要があります。

思考の通った「書き」

国語を専門とする人間からすると常識的な話なのですが、記述問題の解き方にも、大まかな公式はあります。

例えば、「どういうことか」問題。

①傍線部を一文に戻し、

②補足すべき内容を理解しながら、

③傍線内の要素を分節し、

④同じ意味の単語に言い換える

簡単にまとめると、上の4つを基本方針として解いていくことになります。

けれども、多くの人たちは、「どういうことか問題は言い換えればよい」としか理解しないわけですね。(それすら知らない人も多いです)

それでは、2021年度の東京大学前期試験には対応できませんでした。

〈AはA’にもとづいている〉という傍線部を「どういうことか」説明する問題です。

Aを言い換えてしまうとA’が、A’を言い換えてしまうとAが。

AとA’の内容が被っているため、「要素を全て言い換える」という発想でいる人は、同じ内容を被らせて書いてしまうのです。

思考が通っていない証拠です。

そもそも求められているのは「説明」なのですから、杓子定規に必要のない部分まで言い換える必要なんて全くないわけですね。

大切なのは、どういう表現をすれば相手に「伝わる」かどうか。

私も便宜上解法の類を与えることがありますが、大前提はぶらすつもりはありません。

思考を通わせて読み、思考を通わせて書き。

相手にどう伝えれば理解してもらえるのかを真摯に追い求めることです。

自分の頭で考える訓練無しに、国語ができるようになるはずなんてないのです。