国語学習における〈辞書〉の使い方

広島国語屋本舗現古館 館長の小林です。

国語学習において、〈辞書を引けば語彙が増える〉という言説を聴いたことがある人は多いのではないでしょうか。

「あれ、嘘ですよ。」というお話を今日はしていきますね。

辞書を引くことの〈自己目的化〉

私はいまやマシュマロがごとき肉体を手にしておりますが、最も痩せていた時点では、今の体重から約30kgほど差し引くことになります。

要するに、適度な運動をしていたわけですね。

毎日早朝ランニング。

さわやかな朝の空気を吸ったり吐いたり。

私はさながら天馬のごとく、田舎の山道を駆けていたことでしょう。

来る日も来る日も、ランニング。

「健康のため」という御旗を掲げて、強靭な意志でもって走り続けました。

雨ニモマケズ

風ニモマケズ

雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ

丈夫ナカラダヲモチ…

宮沢賢治「雨ニモマケズ」

でも、ちょっと待ってください。

「健康のため」にランニングをしているのに、雨の日にランニングをしていますね。

それって、本末転倒ではないですか。

「健康のためのランニング」が習慣化すると、だんだんとそれが「ランニングのためのランニング」になってきます。

手段と目的の転倒。

自己目的化と言います。

辞書を引くという行為でも同じなんですよね。

分からない言葉を調べて、理解する。

そして、その言葉を扱えるようにすることが辞書を引く目的です。

しかし、「辞書を引けば語彙が増える」という言説を無邪気に信じ込んでいる人は、辞書を引いて意味を分かったつもりになったら、思考を止めます。

そこには一種のアハ体験のようなものがあるだけで、扱える言葉の量はなんら増えはしないのです。

コロケーションを意識する

コロケーションという言葉があります。

すごく単純化して言うと、〈自然な語のつながり〉とでも言うんでしょうか。

分かりやすく説明するために、少し脱線しましょう。


私が好きな芸人さんに、太田光さんがいます。

太田さんとくりーむしちゅーの上田晋也さんがなさっている「太田上田」という番組をHuluで延々と見ているのですが、太田さんが良いことをおっしゃっていました。

簡単に要約すると、以下のようなお話でした。

「鈴木福、〇〇に苦言」というネットニュースがあった。苦言という言葉本来の意味は、〈快くないがためになる指摘〉という意味だが、〈偉い人が教えてあげる〉という意味で普段は使われているので、子どもが苦言という言い回しは不自然である。

この太田さんの言が正しいかどうかはともかくとして、言葉には「自然な言い回し」があるということはご理解いただけるでしょうか。

単語一語一語の意味を精確に捉えていたとしても、それを運用できなければ「語彙が増えた」とは言えませんよね。

ですから、私は辞書の引き方として〈一文ストック〉を推奨しています。

一文ストック

言葉は文の中に埋め込まれています。

言葉だけを取り出して意味がおぼろげにしか理解できないのであれば、文ごと取り出しましょうというのが〈一文ストック〉の発想です。

一文ストックの作り方は以下の通りです。

①分からない単語を調べ、定義を書き写す

②用例があれば用例を、なければ分からない単語が出てきた一文を書き写す

③一文で意味が取れない場合、指示語を具体化したり、本文の前後文脈のメモを残しておく

ナショナリズム:民族を単位として国家の統一や独立を目指す考え方

〈そして、多民族・植民・移民受け入れ国家と単民族・原住・移民送り出し国家では、国民主義(ナショナリズム)という言葉が異なって使われる傾向がある。〉

*多民族〈個々の構成民族に対して使用〉↔単民族〈国家の管理化にある人口全体に対して使用〉

一文ストックの例

これを作り上げるのは、高校生でもかなり骨が折れるとは思います。

しかし、そうした地道な努力の積み重ねの上にしか、〈盤石な語彙力〉なんてものは存在しえません。

語学学習の基本は、ゆっくり急ぐです。