国語の自学の困難さ~テキトーな〇つけ~
広島国語屋本舗 現古館・館長の小林です。
国語を長年指導していると、「独学が難しい科目」だとしみじみ感じます。
そもそも、「独学」自体が至難の業ですからね。
その上で、国語の独学はさらに難しいと言わざるを得ません。


なぜなら、タイトルにある通り、ほとんどの学生にはテキトーな〇つけしかできないからです。
適当な〇つけであれば問題ありませんが、いかんせん「テキトー」なものですから、そのいい加減さ具合が浮ついたカタカナ表記に見て取れますね。
〇つけが「テキトー」であるかの判断基準は、きわめてはっきりしています。
なんでもいいですから、自分で答え合わせをした学校のワーク、塾のテキストなどを引っ張り出してきてみましょう。
①記述問題の解答に「〇」しか書いていない
②記述問題の誤答の横に、「赤字で書き写した解答」しか書いていない(もしくは×しか書いていない)
③選択肢問題の誤答の選択肢に、誤答である根拠が記されていない
これらの内、1つでも当てはまるなら、国語の力がつかなくて当然です。
逆に、全てをクリアしているのであれば、恐らく国語指導者の出る幕は少ないでしょう。(それでもゼロとは言えません。専門家とはそういうものです。)
では、上の3つの何が問題かをご説明していきましょう。
〇は〇?×は×?
上の3つに共通して言える問題は、なぜ〇なのか、なぜ×なのかを考えない作業になってしまっていることです。
記述問題の解答には、必ず満たさなくてはいけない条件があります。
たとえば、次の問題を見てみましょう。

クラスのみんなで可愛がっていた亀のカメ吉が死んだ。飼育当番が回ってくる日を、いつも心待ちにしていたのに。僕は涙が止まらなかった。
問:「僕は涙が止まらなかった」とあるが、それはなぜか。二十五字以内で書きなさい。
この問題で満たすべき条件は、
①行動の理由説明は、〈原因+心情〉で記述するということ
②二十五字という字数制限から、いくつのポイントを入れることができるか逆算すること
です。
「涙が止まらない」という行動に隠された心情は、ここでは「悲しみ」です。
そして、「悲しみ」をもたらした原因は、「カメ吉の死」ですね。
これでいったん解答を作ってみましょう。
カメ吉の死が/悲しかったから。(14字)
2ポイントでは字数が少ないことが分かりました。
ですから、もう1ポイント説明すべき内容が残っていると考えるわけです。
「カメ吉の死」と「悲しみ」が結びつくのは、カメ吉が「僕」にとって何らかの意味で大切なものである場合だけです。
「僕」がカメ吉のことを憎んでいたとすれば、その死は拍手喝采をもって迎えられることでしょう。
よって、解答は
大切に思っていた/カメ吉の死が/悲しかったから。
となります。
上の解答を見ていただければ分かる通り、「/」によって解答が分けられていますね。
これができていないということは、何が解答に必要な要素かが分かっていないということです。
ただなんとなく書いて、同じ意味のように見えるから〇しているだけ。
酷い答え合わせだと、解答と同じ言葉を使っているだけで〇してしまう場合もあります。
〈悲しかったカメ吉の死を大切に思っていたから。〉なんていう意味不明な解答にも〇をしてしまうんですね。
もちろん、この例は易しい日本語を使っていますから、そんなとんでもない答えも出てこないでしょうが、国語で扱う文章の難度はこのレベルではないですよね。
自分の記述解答の全てに×を付けてしまう場合も、全く同じことが起こっていると言えます。
何が×かを考えることもせずに、模範解答を書き写す。
それは写経の修行というのです。
選択肢問題だって、なぜその選択肢が正解なのか、なぜその選択肢が不正解なのかを検討しない限りは、サイコロを投げているのと大差はありません。
根拠が出せないということは「まぐれあたり」ということですから、解答に再現性はありませんよね。
まず、自学のための知識・技術を身につけよう
とはいえ、学生たちに適当な〇つけができない、ということを、私は責める気にはなれません。
仕方がないです、だって教わらないんですから。
あ、「教わらない」という発言は、学校の先生を非難しているわけでは全くありません。
私と学校の先生とでは、役割も時間の余裕も違いますから、一緒にするだけ失礼です。
教育なんてものは、ひとところで完結するものであるはずがありませんから、公教育、私教育、家庭、地域など、社会全体で子どもを支えればいいのです。
ただ、私にはそういった自学のために必要な知識・技術をお伝えする準備がありますから、それを必要としている生徒にそれを提供しています、と申し上げているだけです。
あ、ちなみに。
私の学生時代の〇つけは、まごうことなき「テキトー」なものでした笑
よくも大上段から振りかぶって偉そうなことを言えるな!という代物でしたが、今となっては時効だと考えます。
私も当時は教わっていませんでしたから。