字が汚いんですけど
広島国語屋本舗 現古館・館長の小林です。
国語の先生を長らくやっていると、タイトルのような相談(という宣言?)を受けることが多くあります。
私は書道の先生ではありませんし、私自身も字を美しく書く能力を高めてきませんでしたから、あまり偉そうなことは言えませんが、この手の相談に返す言葉は決めています。
勉強するときは自分で読めればいいよ。ただし、スペースを広くとって書くことと、テスト本番で人が「読める字」を書けることを前提にして。
学習の能率は、どれだけ手が動いているかでおおよそ判断ができます。
数学の問題を解く際でも、図を書いているか、途中式を書いているか、図形を書いているか。
頭が働いている人はとにかく手が動きます。
頭の回転に手の動きをついていかせようとすると、乱雑な字になってしまうことは往々にしてあります。
理想だけで言うのであれば、「速くて丁寧」であるのにこしたことはありませんが、実際には「速くて汚い」になってしまうことが多いのも事実です。
私は、思考の過程で字が汚いことには問題がないと考えていますが、例外はあります。
字が小さすぎる
狭いスペースに膨大な情報をつめこもうとする
自分の書いた字を誤読してしまう
他の人が読むことができる字を「書けない」
これらはNGです。
せっかく自分の思考過程を素早く記録したのに、それを誤読して間違えてしまうことほどもったいないことはありません。
字が小さすぎたり、狭いスペースに情報を詰め込んだりすると、その危険性は倍増します。
素早く書くだけでなく、「大きく」「自分が読める形で」書くことが重要です。
また、自分の思考を助けるための文字と、人に読ませるための文字は、当然分けて考えなければいけません。
たとえば、大学入試の採点者は50代前後の研究者の方が多いようです。
その年齢層の方々に、読むことができないような崩し字や小さすぎる字で解答を提出することは、あまりにもリスキーではないですか?
「字が汚い」ことは、上記の条件を満たしている場合に限って、問題ないと私は判断しています。
もし、上記の条件を満たしていない場合は…お習字に通っていただきたいと思います(笑)