国語におけるセンスとは何か
広島国語屋本舗 現古館・館長の小林です。
私が指導している中学三年生のお話を少しさせていただきましょう。
先日、平均点が7割だったとある模擬試験で、うちの子たちは平均89点を取ってきました。
平均点が7割という時点で、難度が高い問題でないことはお察しだと思います。
とはいえ、平均点が9割に迫っているわけですから、それなりに力があることは間違いはありません。
けれども、彼ら彼女らの内、「国語ができる」という実感を持っている生徒は、14名の内1人か2人でしょう。
普段の授業を通して、高校の国語で要求されることのハードルの高さを、嫌というほど思い知らされているからです。
私は決して実力を勘違いさせてあげません。
先につながらない根拠薄弱な過信を付けさせることは、生徒の成長の足をひっぱるだけだと考えています。
後悔と転機
中学校の間は当たり前に80点、90点を取っていた生徒が、高校に入学して60点以下へと抑え込まれていく姿をたくさん見てきました。
「高校の試験での平均点は40点台だから仕方ない」
自分ではなく他者を基準にした意味不明な言い訳で、自分の実力の無さに「慣れてしまう」。
本当に恐ろしいことです。
けれども、そのような悲惨な状態に陥らせてしまった一因は、間違いなく講師の私にあったと思っています。
目先の得点をとることを最優先し、先のステージにつながる要求をしなかった。
その目先の得点を上げることが講師に求められるものだとは言え、多大な後悔があります。
そんな私に、ちょうど5年前大きな転機が訪れました。
広島県公立高校入試の形式が大きく変化したのです。
高大接続改革に端を発した思考力重視の入試。
入試がしっかりと厳しい要求を示してくれたのです。
「考えなきゃ解けないよ。」と。
情報検索能力と思考力
中学校の定期試験や出題形式が変化する前の広島県公立高校入試で高得点をとるためには、〈情報検索能力〉を身につけさせれば良かった。
問題文に〇〇って書いてあるよね、だから本文から〇〇を探そう!ほぉら、近くに答えがあったね!
ただの言葉探しゲーム。
はっきり言ってお遊びのようなものでした。
けれども、今は違う。
中学生であっても、本文を精確に読み取り、問題文で求められている内容をつかみ、それに答える上で必要な要素を分析し、適切に表現する必要が出てきました。
文章の難度は違えども、大学入試で求められる力と寸分違わない力が要求されるようになったのです。
要するに、〈思考力〉。
中学校から高校、そして大学へ。
求められる力に一貫性が出てきました。
そこから、私は授業の内容を大きく変更しました。
中学1年生への解説と高校3年生への解説で、言っている内容は全く変えていません。
もちろん伝える上での表現は変えていますが、要求している内容は同じです。
厳しい要求をしていることは分かっています。
が、その結果は最初に示した通りです。
センス
国語はセンスの科目ではないと言われ始めて久しいですが、私は国語にセンスは大きく関係すると考えています。
それは当然、「生得的な才能」などではなく、「知識・思考の蓄積」です。
簡単に言い換えると、考えるクセ、とでも言いましょうか。
本文が一番言いたいことって何だろう?
この本文で言っていることって、あの話と似ているなぁ。
この言葉はどう言い換えたらわかりやすいだろうか?
答えの表現はこれで本当にいいのかな・・・。
頭をひねって、かきむしって。
必死に考える経験をどれだけ積んでいくかが何よりも大切です。
そしてそういった経験は、社会に出た後もきっと子どもたちの力になってくれます。
相手の主張を適切につかみ、それについて自分の頭で考え、表現する。
現古館は、それができるようになるためのお手伝いをする場であることをお約束します。