国語では満点がとれない?
広島国語屋本舗 現古館・館長の小林です。
国語を教えていると、「国語では満点がとれない」という言葉をよく耳にします。
こういった考えは明確に誤りですから、その理由をご説明しようと思います。
確かに、国語指導の現場においても、「記述問題では6割5分~7割、合格答案を目指そう」という助言はなされがちです。
しかし、それは〈入試における合否〉を基準にした目標値であって、〈満点がとれないこと〉に由来した助言ではありません。
そもそも、〈満点がとれない〉試験は試験として機能していませんからね。

河合塾が主催する全統記述模試での、生徒の解答の一部です。
評論、満点。
高校1年生の夏から数えて2年半のお付き合いをしている生徒です。
この子は大変時間がかかりました。
解き方の癖を徹底的に修正し、一時は得点が4割5分ほどに落ち込んだこともありました。
それでも腐ることなく、じっくりコツコツと考える癖をつけ続けた結果、共通テストでは8割得点。
今はとある国立大学を目指して猛勉強しています。
現代文、古文、漢文と。
全ての分野で満点をとることは、当然ながら容易なことではありません。
しかし、「容易でない」を「不可能だ」に読み替えてしまうことを、私は非常に怠惰な姿勢だと思います。
満点を目指した上で、そこに届かなかっただけならばそれは結構。
けれども、立てられた問いに対して、「完璧な解答は不可能だ」「6~7割の解答をしよう」と考えているような人に、大学という高等教育の場はふさわしくないと断言します。
私はできないことには寛容です。
私だってできないことだらけでしたし、今もできないことだらけです。
ただし、「できないままでいい」という発想は許容しません。
学びとは、できないことをできるようにすることではないですか。
その軸だけはぶらすことなく、学習に勤しんでいただきたいと思っています。