国語における不親切な説明
広島国語屋本舗 現古館・館長の小林です。
最近、生徒から「先生が厳しくなった気がする」と言われました。
今日はその理由をお伝えしようと思います。
親切な説明と不親切な説明
私の解説は、かなり親切な方だという自負があります。
本文の読み取り方を伝え、本文へのマーキングの仕方を伝え、問題文の問うている内容を伝え、問題文の要求ごとの解答方針を伝え…。
「本文を読んで」「問いに答える」ということに徹底的に向き合った解説を行っています。
いわゆる〈親切な説明〉ですね。
けれども、親切な説明を聞いているだけでは、ある段階からは通用しなくなります。
分かりやすい例で言うと、国公立二次試験の記述問題ですね。
共通テストレベルであれば、親切な説明を聞いているだけでも7~8割の得点は取らせることは容易です。
語彙力とテーマの知識を詰めて、問題の仕組みを伝えるだけで、あとは選択肢が解答まで誘導してくれるわけですから。
もちろん、選択肢問題には選択肢問題の難がありますが、それも仕組みが分かってしまえば底は知れています。
しかし、国公立二次試験の記述問題はそうはいきません。
この段階が近づくと、私の説明はだんだんと不親切になっていきます。
〈説明になっているか〉という自問自答
選択肢問題では、問われている内容を理解した上で、本文から解答に必要な要素を抽出し、選択肢と照合する作業で得点がとれました。
けれども、記述問題では、抽出した要素を解答へと再構成するという作業を自分で行う必要があります。
それは、聞かれたことへの答えになっているかを、問い直し続けることにほかなりません。
徹底した自問自答ですね。
本文に書いてある表現をカーボンコピーすれば解答になる、そんな甘いものでは全くないんですよ。
考える、考え続ける必要があります。
そして、それをするためには考えるという経験の蓄積が不可欠なんですね。
厳しくないはずがありません。
だから、口頭試問
私が〈不親切な説明〉を始めると、口頭試問が授業のほとんどを占めるようになります。
○○ってどういうこと?
この言葉に隠れている前提って何?
それは本文のどこに書いてあるの?
なんで解答の最後をこの言葉にしたの?
本文のこの言葉をこう言い換えたのはなぜ?
圧迫面接官も真っ青の質問攻めです。
「近くに書いてあったから」なんてことを言おうものなら、「考えてこい」とつっぱねます。
それを複数回繰り返して、だんだんと解答へと近づいていくんですね。
考えがずれすぎてどうにもならないときには、軌道修正をしたり、助け舟を出すことはありますが、大変不親切です。
けれども、自分で自分の解答を問い直し続けることでしか、「思考力」なんてものは育ちませんよ。
不親切であるがゆえに、それが何よりの「説明」になるのです。
自分の理解が至っていないところを、解き明かすわけですからね。(「説」いてはいませんが笑)
種はあげる。
育てるのは自分でやんなさい、ということですね。