古典常識はいつ身につける?②

広島国語屋本舗 現古館・館長の小林です。

以前の記事の続き、『繰り返し触れることで「常識化」する』についてです。

古典常識なんてものは、あらかじめ「知っていれば」問題にはならないわけですから、古典の世界を描いたものに継続して触れておくというのが一番手っ取り早くはあるのです。

問題はそれを「いつやるか」、「何でやるか」です。

もっと根本的な問題は「興味を持てるか」ですが、興味が持てない場合は受験勉強として割り切って暗記すればいいだけですね。

さて、私の場合は、古典常識のほとんどはマンガで身に付けたと思っています。

言わずと知れた名著『あさきゆめみし』から、『文法全解 源氏物語』(待井新一/旺文社)にあたったり・・・

『マンガ 日本の古典シリーズ』(全32巻/中公文庫)で古典の名著の網羅的知識を培ったりしていました。

漢文の世界観であれば、やはり横山光輝の『三国志』が大きいですね。

そこから吉川英治の小説に入り、「三国志」の原典にあたり、横山光輝の「項羽と劉邦」「水滸伝」「史記」。

「西遊記」「紅楼夢」・・・とこれまた派生していきました。

上のような話を、私は小学4年生ごろからはじめて、高校に入るまでには完結させています。

誰に言われたでもなく、単に面白かったからです。

勿論難しい言葉、理解しきれない概念も出てきていたはずですが、これはどうにかなるものなんですね。

「そんなもんだ」として大まかな理解で済ませたり、気になって調べてみたり、意味も分からず丸暗記していたり。

要は、後から取り出せる形の知識として「残っている」という事実が大きいんですね。

これは何も私に限った話ではありません。

公立小学校、中学校に通う子どもたちが、塾に置いてある「三国志」を5~6冊握りしめて帰っていく光景を、私は毎日見ています。

環境があり、勧める大人がいて、魅力に気付けば。

あとは子どもたちが、自ら進んで「古典常識」を手に入れていきます。