国語についての4つの誤解

広島国語屋本舗 現古館・館長の小林です。

下に挙げる4つの認識、1つでも当てはまるなら危険ですよ。

①「勉強はしてないし、感覚で解いてるけどそこそこ点はとれる!国語は得意だ!」

②「前回は50点だったけど、今回は90点!主人公に感情移入できたから!」

③「国語は日本語だしなんとかなるよね!」

④「国語は本文を見れば答えがあるんだぁ!簡単だぁ!」

【誤解①:実力の錯覚】

これは小中学生が陥りがちな誤解です。

語彙の蓄積がある子だと、小中学生の間は手持ちの知識だけで高得点がとれてしまうことがままあります。

文章は短くて易しい、問題は「抜き出し問題」がほとんど。

言葉を持っている子はやはり強い。

しかし、「解の原則」を使わずに得点を取れてしまっている子は要注意です。

早いと中学生で、遅くても高校生で壁にぶつかります。

文章が長く難しくなり、問題の問い方も多様化するからです。

根拠のない自信は、いち早く捨てなくてはいけません。

自信は確かに大切ですが、中身を伴わない自信を持ち続けることは弊害しかもたらしません。

「勉強していないから満点がとれない」とは考えず、「勉強しなくてもある程度できる」という判断をしてしまう。

「国語は満点がとれない科目」などという意味不明な納得の仕方をしてしまう。

自分の最高到達点を「自分の実力」と考えてしまう。

「できるはず」なのに得点がじわじわと下がっていくのは怖いものですよ。


【誤解②:感情移入の度合いと得点が比例する】

国語の持つ恐ろしさの一つに、得点の不安定性にあります。

実力がニセモノの内は、点数が大きく揺れる続けるんですね。

そもそも、国語という科目は「あなたの感じたこと」なんて一切聞いてきません。

文章に書かれている内容について、問題で指定された形で答える。

これだけです。

国語の得点は、「感情移入できたか」に左右されるものではありません。



【誤解③:母語だから学習の必要がない】

国語の中でも、「古典」には危機感を持ってくれる人が多いです。

なんせ、普段私たちが使っている言葉とは目に見えて違いがありますからね。

しかし、現代文となるとそうは問屋が卸さない。

なまじ単語一つ一つの意味は分かるものが多いため、「どうにかなるさ」と考えてしまう。

でも、本当にそうですか?

例えば、

「グローバリゼーションの究極的な帰結とは生のあらゆるアスペクトにおける市場原理の浸透であり、それはかつてハイデガーやサルトルが提唱した実存という在り方の否定に他ならない。つまり、グローバリゼーションは人間を商品化するのだ。」

日常会話で、こんなことを言っている人は、恐らくいないと思います。

日本語だから勉強しなくてもなんとかなる?

とんでもない!

日常会話で用いる言葉のレベルを遥かに超えた日本語は、もはや外国語のように見えることでしょう。

現代文が試験として設定されている以上、そこには適切な難度が保たれているということを知ってくださいね。


【誤解④:本文の中に答えはある】

これは以前の記事でもご紹介しました。 

本文の中にある要素で答えを決定する、という意味では正しいのですが、その答えの要素をどのように判断していくかについては考えていない人が多いですね。

「本文の中にある答えをどう見つけるか?」

「本文の中にある要素をどう言い換えれば説明になるの?」

この方法論を持ったうえで解いているか、これが重要です。

世間で語られる「国語教育論」には、思わず笑ってしまうような話も多く存在しています。

まずはそういったワナを回避できるように、真っ当な知識を付けましょう。