古文を読む上での最重要事項は?
広島国語屋本舗 現古館・館長の小林です。
古文が読めるようになるために、何をしたらいいのか。
そんな質問は山ほど受けるのですが、まず初めにすることは1つです。
ズバリ、全訳を諦めること。
私がこう言うと、真面目な生徒ほど反発してきますね。
「諦める」という言葉から、マイナスな印象を受け取ってしまうからだと思います。
しかし、「諦める」の語源「明らむ(あきらむ)」は「はっきりさせること」を意味します。
中高生が身につけておくべき知識で理解できる部分、そうではない部分をはっきりさせ、理解できる部分を根拠に解答を導いていくことの何が問題なのでしょうか?
理解できない部分を妄想で補い、明後日の方向を向いた解釈を作り上げ末に、解答にたどり着けない。
そちらの方がよほど問題でしょう。
さて、理解できる部分とそうでない部分を明確にする必要があることは分かりました。
それでは、「理解できる部分」と「そうでない部分」とは、それぞれ何を指すのでしょうか?

上に図で示しました。
古典において、私たちが理解すべき語は2つです。
入試でよく問われる重要語。
これは暗記して訳出する必要があり、ここをクリアするのは大前提となります。
そして、今と昔とで意味がほとんど変容していない古今同義語。
これは私たちが普段用いている言葉と同じですから、そのまま訳せるので問題になりません。
むしろ問題は、それ以外の語を「理解しなくてよい語」として切り捨てられるかどうかです。
理想を言ってしまえば、全ての語が理解できるに越したことはありません。
けれども、中学3年間、はたまた高校までの6年間古典を齧っただけの学生が、全ての語を完璧に理解できるはずがありませんし、できたとしたら全ての古典研究者に失礼です笑
そんなものは入試では求められません。
ですから、与えられた情報をしっかりと取り、類推を用いて大まかな意味を取っていくのです。
完璧主義は、最も完璧な壁になります。
まずは必要十分な箇所を見極め、身につけることが最優先ですね。