手で読む主義宣言
広島国語屋本舗 現古館・館長の小林です。
国語の指導力は、テキストの汚れ方に表れる。
これが私の持論です。
汚すといっても、
「泥だらけの手でベタベタ触りましょう!」とか、
「机の奥で漬物のごとく熟成させてシワシワにしましょう!」とか、
そういうトンデモ理論を提唱しているわけではありません。
筆者の主張にマーキングをし、いつでも取り出せるようにしておきましょうということです。
では、なぜ「筆者の主張にマーキングを」する必要があるのでしょうか?
「なぜ?」も分からず引く線は落書きでしかありませんから、そこも理解したうえで線を引いていく必要があります。
答え合わせは、また次回の「国語について」の記事で致しましょう。
さて、世の中には不思議な国語の授業がたくさん溢れています。
私が一年目に講師をしていた全国展開の個別指導塾。
大学生が〇と×だけをつけて授業終了でした。
私が学生時代に一時期通っていた広島の大手塾。
答えの作り方は伝えるけれど、
「なぜそのポイントを使って答えを作るのか」
「どうすればそのポイントを見つけることができるのか」については触れられないままでした。
私の指導では本文、問題文がマーキングだらけになります。
メモでテキストの余白が無くなります。(ノートもとりますよ笑)
文章って、《解の原則》に従って解いていたら汚れるものなんですよ。
洗剤のCMじゃあないんですから、「ビックリするほど白い!!」テキストは、指導力がありませんという宣言です。
私は、その逆。
「手で読む主義」をここに宣言します。